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2010-12

山科の琵琶湖疎水を歩く(2)

2010年12月5日(日)に一緒に歩いた友人T氏のブログ(mixi)に
「カメラを向けるモチーフが興味深く、 一緒に歩くのは面白い。」と書いてくれていたので、 写真もアップしておこう。

友人には、私が何をどう撮っていたように見えただろうか。
・・・・実は私も、町歩きをしながら一緒に写真を撮っている連れの被写体がとても気になったりする。
同じ方向にカメラを向けていても、あとで見せてもらうと被写体やフレーミングの違いで、
全く違うモノ、人、世界が写っていることが多い。
クオリティの高い写真で他人の視線・視野を疑似体験できるのは、ものすごく新鮮だ。
【客観性に裏打ちされた主観的な世界】・・・・だから写真は面白い。

その場所をよく知っている人が見ても、
写真を通して同じ場所が全く知らない土地の情景であるかのように輝いて魅力的に見える。
根っからの滋賀県の人は「ここには何もない」とよくおっしゃられるが、写真は滋賀県の豊かさ、多様さを語ってくれる。
それは、すごい力だ。
絵描きが写真を力説していますが(失笑)。もちろん、絵にも同じ力がある。

写真の構図を考えるとき、まず心にビッときた被写体をどう魅力的に生かすかを考える。
構図を決めるときは、足すことよりも引くことを考える方が多い。
ほとんどの場合そうだ。
何をどこまで切り取るか。

フレーミングは、私の場合ファインダーをのぞくのが一番 性に合っている。
まさに切り取るという感じがして、画面に集中できる。
コンパクトデジカメも使っているが、液晶で見る画面は反射や周りの雑像が邪魔で集中できない。
だから、ファインダーがないミラーレス一眼もたぶんあわない気がする。

肉眼が一番リアリティーが高いわけだが、
場合によっては、ファインダーという小窓からのぞいた【自分が切り取った世界】が、
よりリアルで鮮明に思えることも多々ある。
コンデジの液晶は、テレビと同じ程度のバーチャルな感じがして、
実景の「心にビッと、わくわく感」がほとんどない。
記録(画像メモ)をとっている感じ。

重たいけれど、やっぱり一眼レフが私の【世界を魅力的に見つめる】ための道具だ。

101217 薄氷

今朝すこし早起きをした。
’もも’が庭に出せとじゃれつく。
中庭のサッシを開けると空気が昨日より冷たい。
きつい寒さではないけれど、キンとした空気。
ここちよい。

101217庭の薄氷---4

石彫の水盤に薄氷がはっている。
氷に閉じこめられた紅葉やツツジ枯れ葉が透けて見える。
気泡も見える。
氷の表面には直線的な幾何学模様。
氷の上にも葉っぱがちらほら。
青空や建物が映り込んで枯れ葉の色と響き合う。
なんという色たち。なんという青いろの深さ。
冷たい青? そうだねー、触ったら冷たかったよ。

101217庭の薄氷---3

氷の底に寝ているはずのメダカは、来春も目覚めて泳いでくれるのかな。

山科の琵琶湖疎水を歩く

2010年12月5日(日)
友人T氏と、山科の琵琶湖疎水沿いを歩いた。
何年ぶりというか、何十年ぶりかな。

さほど寒くなく、光が白くてきれい。久しぶりの町歩きにには、とてもいい日和り。
疎水の水は量感をもってゆるやかに流れている。
やや単調な風景。

安祥寺橋の北側でスケッチ。
ペンと水筆(墨)で単色描き。
逆光の桜の木の影が、私の左手の地面に伸びる。
疎水べりや道沿いの柵が2重、3重に重なりリズミカルなすきまを見せる。
向こう側の林は逆光に沈み、手前の欄干部分がコントラストを見せる。
橋を越えた先は下りの坂道。

101205琵琶湖疎水安祥寺橋/山科

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このブログについて

永江弘之のブログです。

晴れの日、琵琶湖の空はどこまでも広く光きらめく。雨、比叡山の山ひだから雲が湧き龍のようにたなびく。初秋の棚田に風が吹き渡り稲穂がさわめく。年になんどか積もる雪で景色が一変する。そしてまた、命の息吹に満ちた季節が巡る。

ここ、蒼穹庵(sokyu-an/永江弘之アトリエ兼自宅です)から見た日常と非日常、幻視、幻想、妄想etc、折々の記憶をスケッチや写真をそえて掲載します。

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